救急ER看護師ナナオの日々の事件や役立つ情報とかとか

救急ER看護師のナナオの日常で起こる事件や、役立つなぁと感じた情報を赤裸々にブログにしてます。激しくも悲しきユーモアある毎日を過ごしていきたいと切に願う今日この頃です。

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「迷い」と「決断」→救急ER看護師までの道のり

どうも。救急ER看護師のナナオです。

今日はりっすんブログコンテスト2019に応募しようと思って、自分の人生を振り返りながら「迷い」と「決断」について書いてみようと思います。

 ※ところどころインタビュー形式となっており、お見苦しいかもしれませんが、しばしお付き合いください。 

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イ→架空のインタビューしてる人

ナ→救急ER看護師のナナオ

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 イ「じゃあもういきなり核心を突きますが…ナナオさんは、これまでの人生において“迷い”や“決断”ってありましたか?」

ナ「はい(笑)迷いと決断の日々でした。誰にでもそういうことってきっとありますよね(笑)」

イ「確かに。じゃあもうてっとり早くナナオさんの“迷い”と“決断”について聞かせてもらえますか?」

ナ「うーん。そう直接聞かれるとなかなか難しいものがありますね。」

イ「難しいとは?」

ナ「ありすぎて…ですかね。」

イ「(笑)そうなんですね。なるほど、わかりました。ひとつずつ思い出してみてください。人生のターニングポイントでも構いません。ひとつづつ思い出してみてもらえますか?」

ナ「わかりました。」

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…ということで、インタビュー形式で始めてみましたが、改めまして、人生の機転でもある「迷い」と「決断」について、ひとつひとつ思い返していこうと思います。こういうのもいい機会ですね。40歳、人生半分を振り返ってちょっと綴ってみようと思います。自分のための振り返りとして… 

「迷い」と「決断」のない学生時代

よくよく思い返してみると、私の学生時代に「迷い」と「決断」はなかったかもしれない。
“ない”と言えば嘘になるが、それほどの迷いはなく平々凡々と学生時代を過ごしてきた。
というのも、学生時代は世間の風潮に流され、私は当たり前のように大学に行き、当たり前のように就職するものだと勝手に思い込んでいたからだ。
そう、きっと自分自身の人生について“考える”ということが足りていなかった典型的な若者だったのかもしれない。
私の家庭と言えば、父は早くに亡くなり、母親が女手一つで私と妹を育てあげてくれた。
もともと家は貧乏で、人生を選択する余地もそれほどなかった。
私は必死に目の前の勉学に励み、目の前の部活動(バスケットボール)に励み、日々を友達と笑って過ごしてきた。学業成績はこれと言って悪い訳でもなく、運動神経も良いほうだった。
その、“可もなく不可もない環境”が、余計に“考える”ということを放棄させていたのかもしれない。別に「考えなくても生きていけるのだ」と…知らず知らずのうちに自分の身に染みていたのかもしれない。そんな学生時代を過ごしてきた。

はじめて自分で“考えさせられた”世界放浪の旅

私が初めて「迷い」、そして「決断」を迫られた経験と言えば、世界放浪の旅に出た時のことだろう。

これまでいざ何か起こった時は、家族や友人が相談に乗ってくれた。そして助けてくれた。それが当たり前のことであり、私自身恵まれた環境にいたのかもしれない。当時はそれが恵また環境だということに気付きさえもしていなかった。
しかし私は、そういう環境が嬉しくもあり…矛盾しているが悲しいことでもあった。悲しいというのは御幣があるかもしれないが、そういう環境に“ある疑問”を抱いたのだ。

「私は一人ぼっちの境地に立たされた時、この世界で生きていけるのだろうか。」

と。

もともと思い立ったら後先考えず行動してしまう性格だったこともあり、とりあえず1ヶ月で30万ほどお金を貯め、そのお金が続くまで一人で旅に出ようと思い立った。
当時、大沢たかおの深夜特急を観た影響もあり、英語力ゼロの私だったが…小島よしおばりに「そんなの関係ねぇ!」と連呼しながら、ヨーロッパ~アジアへと旅立ったのだった。

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イ「なんかカッコいいですね!」

ナ「そうですか?聞こえはカッコいいけど…うん、でも旅自体はひどいもんでしたよ。もちろん旅の先々で“迷い”もあれば“決断”も必要になってきました。だって世界って広いんだもん。言葉も違けりゃ、文化も違う。もう大変なこと山の如し、ホームシックにかかること川の如し…といった感じで行く国、行く国でベコベコにやられましたよ(笑)」

イ「え?例えばどんな風にベコベコにやられたんですか?」

ナ「そうですねー。具体的に言えば…

・言葉が通じないから食べることさえ一苦労。
・電車の乗り方が分からないから目的地に辿り着くまで予定より2~3時間遅れは当たり前。
・黒人のめっちゃ強そうな男に襲われそうになる。
・白人のめっちゃ強そうなゲイにディープキスされ○○○されそうになる。
・金髪のめっちゃ美人のお姉さんに高級そうな壺を買わされそうになる。
・目がクリクリのめっちゃ可愛い子供に勝手に写真撮られてお金せびられる。
・駅員にいきなり怒鳴られ、訳も分からず罰金をとられる。

…とかとか、まぁいろいろありました。この人は信じられるのか?私は正しいのか?ここでこれは買うべきか?この宿に泊まるべきか?この電車に乗るべきか?とか…自分で初めて“日常”というものに疑問を感じ、迷いに迷って、決断を迫られる毎日でした。」

イ「じゃあその経験はその後の人生に生かされたりしたんじゃないですか?」

ナ「確かに生きる上での“糧”にはなっているのかもしれないですね(笑)」
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正直バックパッカーをやるまでは、「私はこの先どう生きていくのだろう…」と漠然とした悩みを抱えながら、その日その日をただただ漠然と生きていた。
が、この世界放浪の旅に出かけることで少しだけその考えが変わった。旅を終えてひとつだけ分かったことがある。

「私は日本人として生まれ、これからしばらくは日本というフィールドで生きていかなければならない。」

世界を放浪して感じたことは、富裕層も貧乏人も、皆が皆、必死に生きていた。特に発展途上国の貧乏人は、人を騙そうが何しようが、“生きていくため”に必死に“生きていた”ように感じた。

とにかく皆が皆、必死だった。

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“生きる”ということはどういうことなのだろうか。

そんなことは考えても考えても答えなんて出てこない。

しかし当時の私が感じたことは…ただ、ただ、この人たちと比べて私には必死さが足りていないということだった。

人生に対して漠然といろいろな「迷い」があった私だが、ひとまず私は英会話スクールに就職が決まっていたので、そこで3年間必死に頑張ってみようと「決断」した。

そして3年後に何か見えたらその時にまた考えればいいかなと。

もともと頭は悪い方なので、10年も20年も先の事は考えられない。それならまず3年必死になってみようと。

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イ「それからナナオさんは英会話スクールに就職して、輝かしいサラリーマン時代を過ごされた…ってわけですね?」

ナ「いえいえ。そんな大層なサラリーマン時代ではありませんでした。3年経って辞めてしまいましたしね。」

イ「え?辞めたんですか?それも何か“迷い”だったり“決断”したことがあったんですか?」

ナ「えぇ。“迷い”と“決断”の連続です。ちょっと子供の頃からの夢…もありましてね。」

イ「夢?」

ナ「はい。役者になりたかったんですよね、私。お金持ちになれそうだし、モテそうだし。」

イ「へ?そんな理由で?ひどいですね…」

ナ「はい。人間は欲の塊なんです。欲の塊は人間です。まぁ、でも迷いはありました。サラリーマン時代は楽しかったですし、人にも恵まれてましたしね。辞めるか続けるか…迷いましたね。」

イ「そうなんですね。その時のこと、聞かせてもらえますか?」

ナ「そうですね…あれは…あの頃は………」

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サラリーマンから役者へ

当時の私はとにかく地元・博多を出たかった。博多にいたら家族や友人に甘えてしまう。勿論家族や友人の存在はありがたい。しかし、尊敬できる家族や友人であったからこそ、そこから飛び出して自立した一人の人間として成長したいと強く感じていたのだ。

そんな折り、都合よく就職先の人事部から「大阪の本部で働く気はないか?」と誘われた。

願ったり叶ったりだ。私は迷いなく二つ返事でOKの決断をくだした。

初の大阪進出で初一人暮らし。多少の不安もあったが、どちらかというとワクワクが勝っていた。それから大阪で三年間働くことになったのだが、サラリーマン時代の三年間もまた仲間に恵まれた。同期や先輩・後輩と波長が合い、話せる人ばかりだったので、とにかく楽しい三年間を過ごせた。

また、私なりに仕事に対して三年後のビジョンを立てていた。
三年後にはこのポジションに就きたい…と目標を持ってひたすら必死に仕事に励んだ。その成果もあり、目標を達成することができた。
また、私は親に大学の費用や車の費用を出してもらっていたのだが、この三年間で借りてた費用を少しずつ返すことができた。

そして三年が経ち…

目標を達成してしまった私は数年後の自分が見えてしまったような気がした。

10年後、20年後、こうなって、このくらい稼いで、こんな生活を送っているのだろうなぁ、と。

何もかもが真っ白になった。真っ白というかワクワクがなくなったというか…

もちろん安定した生活は大切である。しかし私には一つの夢があった。

役者になりたい。

もともとテレビっ子だった私は、ドラマや映画ばかり観ていた時代があり、役者として食べていけたら最高だなぁという漠然とした想いがあった。
サラリーマン時代の三年間は、仕事も楽しく仲間も最高でとても居心地が良かった。それに相反して、役者になりたい気持ちも膨らんでいった。

私は迷った。

迷う迷う迷う迷う迷う

迷う迷う迷う

迷う

夢をとるか、現実をとるか。

バックパッカーとして世界を放浪した時のことを思い出した。
必死に生きる現地人のあの生き様が頭を過ぎる。

人生一度きり。

やらずに後悔するよりやって後悔したい。

役者になろう。

そう決断した私は、当時お世話になった会社の仲間や上司に自分の想いを打ち明けた。そのことに対して誰も反対する人はいなかった。むしろ快く応援してくれたのだった。会社で私が使える人間ではなかっただけなのかもしれないが(笑)、私は嬉しかった。

母にもやりたいことがあると伝えた。
勿論良い顔はされなかった。
母は昔から真面目一環の人間で、家が貧乏だったせいもあり、“安定”が一番だと考える人だった。勿論、子供のことを想って…という考えもあったのだろうが、当時、母によく言われた言葉は…

「あんたを風来坊みたいに育ててしまって…あんたの育て方を間違えたよ。とにかく人様に迷惑を掛けずに生きていきなさい。私からはもうそれだけ。」

だった。

その言葉が逆に私の心に火をつけ、上京することを決断させた。

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イ「役者とは驚きですね。何か勝算みたいなものはあったんですか?」

ナ「いや…何もないですね。」

イ「よくそれで東京に行きましたね。博打ですよ。博打。」

ナ「そうですね。博打かもしれません。まぁ、人生一度きりですしね、とりあえず後悔だけはしたくなかったんですよ(笑)」

イ「確かにそれも一理ありますけど…役者って…でも全然お金にならないって言いますし、生活とかは大丈夫だったんですか?」

ナ「いえ。大丈夫ではないですよ。それなりに苦労はしました。でも楽しかったですね。毎日が楽しかったです。はい。」

イ「そうなんですね…やっぱりなかなか生活するとなると難しいんですね?辞めたいって思った時はなかったんですか?他の道に進もうとか、そういう迷いは…?」

ナ「あぁ。毎日思ってましたよ。辞めたいし、自分には合ってないんじゃないかって(笑)そうですね。役者時代の10年間は確かに荒れた生活の日々でした(笑)あの頃は本当に…」

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役者10年

とにかく役者時代は食えなかった。クソみたいな生活だった。お金がなくてカレーのルーだけで1週間過ごしたこともあったし、うまい棒だけで3日間過ごしたこともあった。おかげで口の中は、しょっちゅう口内炎ができていた。とにかく栄養が足りてない10年間を過ごしていた。
それでもバイトしながら好きなお芝居ができることは幸せだった。楽しかった。
色々なところでお芝居を学び、5年ほど経ったある日、まったく私とは質の異なるお芝居をするNくんに誘われ、劇団を立ち上げた。
劇団を立ち上げるということは、お芝居のことだけでなく、集客や営業も考えながら役者をやっていかなければならなかった。もう修行だ。どうすれば売れるのだろうか、何が正しいのだろうか、お金もないし生活もままならない。答えが分からないまま、もう悩みに悩み、毎日路頭に迷っていた。しかし、役者の世界ではそれが正解なのだ、きっと。
つまるところ、分からないということが正解であり、答えが分かってしまうとそこで終わってしまうのだ。
もう一度言おう。

分からないということが正解なのだ。

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しかしながら食えない役者は東京にごまんといる。上には上がいるし下には下がいる。そんな世界で、もがき苦しみながら、路頭に迷い…それでも楽しく、どMな生活に深くハマりつつ、日々を必死に生きて、それを糧に表現していくのだった。

親や友人に顔向けできるまでは、役者として生きていく…そう自分の中で決断し、10年の月日が流れた。

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イ「え?でも今はナナオさん、看護師として生活しているんですよね?何がどうなってそうなってしまったんですか?」

ナ「うーん、人生って色々ありますよね(笑)」

イ「まぁ人生は色々ありますが…詳しく聞かせてもらえますか?」

ナ「詳しくってほどでもないけど…体壊しちゃったんですよね(笑)」

イ「…そっか。そうだったんですね。」

ナ「そうなんです。でもまぁ、それはそれで転機かなとも思えます。まぁ迷いに迷って、看護師になるという決断をくだした…かな。」

イ「…そっか。…そっか。」

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役者を辞めて看護師になる決断をする

ある日、私は医師に告げられた。

「このまま役者さんを続けるのはどうかと思いますよ。」

と。

私にはもともと持病があったのだが、そいつが頭角を現し始めやがった。
初めはなんだか「体がダルいな」くらいにしか思っていなかったのだが、それが酷くなってきて、舞台の出番直前に意識が飛びそうになったりすることもあった。極度の緊張か不安のせいか…それは分からないが、そいつは突然やってくるのだ。

色々な治療法を試しながら、時には薬なんかで体調を調整しつつ、お芝居を続けていたのだが…
そういう生活が2年ほど続いたある日、血液検査で「ダメだこりゃ…」的な天文学的数字が出てしまい…

「このまま役者さんを続けるのはどうかと思いますよ。」

と、医師に告げられてた。

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当時はさすがに迷った。

迷いに迷った。

自分の都合だけを考えたのなら、死ぬまで役者を続ける選択もあったのだが…
一緒に劇団を立ち上げたメンバーや、お芝居を観に来て頂いたお客様に何より申し訳ない。そして片親でずっと育ててくれた母親より先に死ぬのは一番の親不孝だと考えるようになった。
母のひとこと「他人に迷惑をかけるな、私からはただそれだけ。」という言葉が、やけに引っかかりやがる。

私は迷った。

迷う迷う迷う迷う迷う

迷う迷う迷う

迷う

結果、私は役者を続けることを諦めた。

「体調をみながら続けてもいいんじゃない?」

「役者が無理でもお芝居に繋がっている仕事をすれば?」

という優しいお誘いもあったが…

大好きだったお芝居に、中途半端に関わるくらいなら全てを断ち切りたかった。

「全て壊してゼロになれ」ってやつだ。

これは逃げなのかもしれない。

はたまた前進なのかもしれない。

それは今後、生きていってみなければわからない。

正直、今でもまったくわからない。

この決断が正しかったのか。そうでないのか。

しかし、自分で決めた道。

後悔のないようにこれからも必死に生きよう。

今はただそれだけ。

はぅ…しかしながらこれから一体何をしようか…

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また、それはそれで迷っていた。

そんな矢先、当時仲良くしていた子が看護師をやっていたこともあり、看護師という職業に少し興味が沸いていた。

正直、これまでの人生、自分の好きなことを自分だけのためにやってきたようなものだった。なので、次は、人のために何かできるような…そんな人間に少しずつでもなれたらいいなぁ…なんて想いがあった。(すごく大層なことを言っているが…)

そんな矢先の看護師。




!?

いいではないか!
目に見えて分かりやすく人のために社会貢献している仕事。
今後の日本にとって絶対に人手不足の仕事。500%求人あり。
給料も悪くない。
女子も多い。
モテる。
モテ…
モ…

そんな良くない妄想を膨らませつつ、迷いに迷っていた日々から解放されて、私は決断したのだった。

看護師になる!と。

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イ「結局モテたいだけなんですね?」

ナ「そうです。モテたいんです。男とは…そういうものです、きっと。」

イ「…。で?看護師になってモテたんですか?」

ナ「えっとね…そんなにうまく事は運びませんよね(汗)看護師になる!と息巻いてみたものの…それはそれで大変でしたよ。女の世界にポンと放り出されて、モテるはずないですよね。むしろ罵声を浴びせられる毎日です(笑)」

イ「結果は見えてましたけど…やっぱりそうなるんですね。でも看護師同士で結婚…という話もよく聞きますが?そういう出会いはなかったんですか?」

ナ「うーん。ないです、今の所は…と信じたい。まぁそれは結局のところ、私の人間性に問題があったのかなと…」

イ「それはそうですよね。分かりきったことです。お疲れ様です。」

ナ「はい、ご愁傷様です。まぁ、そんな話は置いといて…話を戻しましょう。今回のテーマは“迷い”と“決断”ですよね?」

イ「あぁそうでした。そうです。いよいよ最終章ですね。ナナオさんは看護師になってからも“迷い”と“決断”って、繰り返してるんですか?」

ナ「もちろん。“迷い”と“決断”がない人生なんて、誰一人ありません。(キラーン)」

イ「はい。じゃあ、もう手っ取り早く教えてください。」

ナ「そんな言い方…」

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看護学校の3年間、そして救急ER看護師として2年目…

役者の世界では何が正しくて何が間違っているのかが明確ではなかった。自分の信じている何かはあるのだが、それは教わるものではなく、自分で自分を見直し、人をみてまた自分を見直し、言葉では表現できないが、とにかくそれは確かに存在し、それを探す連続の日々だった。成果がないことなんて腐るほどあり、何が正しくて何が悪いのか、何が売れて何が売れないのか…先の見えない不安がずっとまとわりついていた。

その一方で、看護の世界は、明確であるように思える。もちろんゴールはないし、人それぞれのやり方や考え方はあるものの、ダメなものは絶対にダメであり、勉強すればそのぶん、自分の知識と技術がモノになる世界だった。…と考えていた私は阿呆だった。

まず30代後半の脳みそは明らかに萎縮していた。勉強…耐え難い。新しく何かを覚えようにも若者の何倍もやらなければ脳が脳みそのシワに刻み込んでくれないのだ。

しかし、役者暗黒時代に培った忍耐力を武器に、私は日々精進&努力を重ね、どうにかこうにか看護学校へ入学することができた。

これで女性に囲まれてハッピーな学生生活が送れる!なんて夢見るのもつかの間…女性の世界とは独特で…30代後半の男が生き抜いていくにはとても恐ろしいや恐ろしやの日々だった。(後はご想像にお任せします…)
さらに私は貯金…というよりは借金しかない状況だったので、日中は学校に行って勉強や実習に励んでは、夜になるとバイトバイト、さらにバイト…といった生活を送っていた。

先生からは怒られ、同級生からは罵声を浴びせられ…そんな三年間を歯をくいしばりながら過ごしてきた。…とは言いつつもそれなりに楽しい学生生活だった…のかな(笑)

そして国家試験に合格し、いざ看護師への道へ。

なぜか40歳なのに救急ERに配属され、これまた厳しい先輩に日々愛あるご指導を受けながら、「やめてやる、絶対にやめてやる!」という念を抱きつつも、なんだかんだ仕事の価値を見出している今日この頃である。
多分この1年間で「自分は看護師に向いてない…」と100回くらい思い、1000回くらい「すみません」という言葉を発したのではないだろうか。
とにかく毎日自分のふがいなさに苦悩と迷いを感じながらも、看護師になると決断したからには必死に先輩にくらいついていく日々を過ごしている。

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イ「へえ。そんなんでよく続けてますね。それで看護師は今後も続けていくんですか?」

ナ「うーん。わからん。」

イ「は?また迷ってるし。一度決断したんじゃないんですか?もう40歳ですよ?」

ナ「歳は関係ない。“迷い”と“決断”は一生続くものだし、人生はわからないということが正解なのかもしれない…」

イ「何、哲学っぽく言ってるんですか?アリストテレスにでもなったつもりですか?」

ナ「いや、私はどちらかというとチェーホフ派だけどね。」

イ「は?意味不明です。どーでもいいです。どーでもいいけど、今後の抱負くらい最後に聞いときますか。一応ね。はい、どうぞ。」

ナ「抱負?何も考えてない…」

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この先…

この先どうなるかなんて分からない。

しかしながら私なりに培ってきたこの40年という人生を振り返り、なんとも“迷い”と“決断”の多い日々だったな。と、このブログを書いて改めて感じた。

そしてこの先も“迷い”と“決断”の繰り返しが待っている人生なんだろう。

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それでも人は必死に生きていて。

私もまた叱り。

とにかく後悔のない笑いある人生を生きていきたいと切に願う今日この頃である。

 

 

お話は続く☆★